1914年~1920年代
1914年(大正3年)
壽商店 創業
深澤幸也(ふかさわ こうや)が有楽町の一角に「壽商店」と記した看板を新しく掲げ、敷物および寿織の名称で植物繊維を編んだグラス・ラグの販売を開始しました。これが、現在のコトブキシーティングの始まりです。人々は洋服姿になじみ始め、生活の西洋化が始まっていたましたが、国内では敷物、じゅうたんは珍しく、日本人の日常生活にはまだ必要がなかった時代。しかし深澤幸也は、いずれじゅうたんに類するこのグラス・ラグが国内でも売れるようになるのは時間の問題と、独立に踏み切ったのです。
1916年(大正5年)
法人企業 壽商店を創立、ルイ王朝式の家具販売を開始
グラス・ラグは在留外国人を中心に好評を呼び、創業の翌年には法人企業「壽商店」を創立。そして、1917年からは敷物に合わせた家具販売も試みるようになりました。扱った家具は一般家庭用のイスではなく、非常に高価なルイ王朝式のイス・グランドファーザーチェア。敷物とセットで売れ行きが伸びました。深澤幸也は、敷物と家具の調和を図るインテリアの観点から商品を取り扱った、先駆者でもあったのです。
1925年(大正14年)
東京帝国大学安田講堂へ納入
洋式家具の需要が空前の高まりを見せる中、画期的な「連結椅子」を開発。東京帝国大学安田講堂へ納入しました。この実績によって、連結イスに関して寿商店は、日本における第一人者としての一歩を踏み出しました。安田講堂以後、コトブキの連結イスは続々と全国の劇場・ホール、講堂に納入されていきます。
1930年代~1940年代
1934年(昭和9年)
FK式単脚単球回転イスを発表
約6年の歳月をかけて、FK式単脚単球回転イスが誕生しました。FKは深澤幸也の頭文字から取っています。最初に納入されたのは、開発翌年の1935年のこと。納入先は、東京帝国大学工学部建築科でした。このFK式回転イスは、多くの特許や実用新案を得て、連結イスや学生机イスと共に、寿商店の主力商品となっていくのです。
1936年(昭和11年)
国会議事堂が完成、小イスを納入
国会議事堂が16年を経て遂に完成。テーブル付座上下式小イスを200席納入した他、衆議院イスの回転軸部分に、実用新案装置が採用されました。
1947年(昭和22年)
株式会社寿商店を設立、寿軽工業株式会社(境工場)を発足
1950年代
1956年(昭和31年)
FRP製品の量産に向けた研究を開始
1958年(昭和33年)
移動観覧席(ロールバックスタンド)を開発
現在、一般的になっている移動観覧席の原型を開発。神宮外苑室内プールにベンチタイプと背付タイプの2種類を納入しました。同年、量産型FRPイスの生産も始まりました。最初に納入されたFRP製イスは、丹下健三氏のデザインによる今治市庁舎のイスです。
1960年代
1960年(昭和35年)
第12回ミラノ・トリエンナーレ展に出展
柳宗理氏デザインによるFRPイスを、ミラノ・トリエンナーレ展に展示。出展したイスは、後にその形状から象足スツールと親しまれるようになる三角形のスタッキングチェア。画期的なデザインで注目を集めました。
1965年(昭和40年)
「イスのコトブキショー」開催
株式会社寿商店、寿軽工業株式会社が創立50周年を迎えたことを記念して、福岡、熊本、東京、大阪、富山、宇都宮、仙台、札幌の8ヶ所で「'65イスのコトブキショー」を開催。FRP製品を中心に全製品を展示し、来場者は延べ1万人。成功を収めました。また、このショーで初めて、電動式の移動観覧席(ロールバックスタンド)が紹介されました。
1968年(昭和43年)
日本で初めてFRPが自動車に採用される
自動車における複合素材の採用第1号として、スポーツカー ニッサンフェアレディZのヘッドランプケースをFRPで製作。自動車のボディパーツにFRPが日本で初めて使われる記念すべき受注でした。
1970年代
1970年(昭和45年)
EXPO’70万国博覧会(大阪)「太陽の塔」顔の製作
日本初の万博を象徴するシンボル、岡本太郎氏の「太陽の塔」。FRP製品の製作で培った技術と信頼で、太陽の顔部分の製作を依頼されることになりました。「太陽の顔」は発泡スチロールで原型を作り、岡本太郎氏が修正後、大きなままでは輸送できないため、原型を数個に切断。原型から型を作り、ハンドレイアップで製作したものを現地で組立てて取付けるという、大変大掛かりな作業でした。他にも、様々な広場や各パビリオンに次々とFRPイスが設置されていきます。また、日本で初めて、屋外ベンチをデザインすることになり、ストリートファニチュアの大ロングセラーとなる剣持勇デザイン研究所の松本所長による、通称「万博ベンチ」が誕生します。FRPの小さなユニットをスノコ状に並べてベンチを形成し、直形状、R形状に対応できる斬新で美しく機能的なベンチは、これまでにないものとして評判を呼びました。このベンチが、現代の屋外家具「ストリートファニチュア」の原点と言えるでしょう。
1973年(昭和48年)
株式会社寿商店と寿軽工業株式会社を合併、株式会社コトブキの誕生
1979年(昭和54年)
世界初のカプセルホテル「カプセルイン大阪」へ410床を納入
大阪万博で黒川紀章氏が発表したカプセル構想から、カプセルベッド“スリープカプセル”として製品化を手掛けました。
1980年代
1986年(昭和61年)
サントリーホールへ納入
サントリーホールは日本発のヴィンヤード形式のコンサート専用ホールとして誕生。最高のホールにするため、イスも徹底して取り組み、外観・座り心地・品質感・耐久性に全力を注ぎ、残響時間2.1秒(満席時・中音域)という理想的な音楽環境を完成させました。後に、開館20周年をきっかけに改修工事が行われましたが、「素晴らしい音響とホールの雰囲気は、そのままに」をコンセプトに客席のリニューアルをすることが求められました。

撮影協力:サントリーホール
1987年(昭和62年)
アメリカ合衆国のインターカル合同会社がグループに加入
1988年(昭和63年)
東京ドームへ納入
日本初のドーム型全天候対応野球場「東京ドーム」向けに、ブロー成形タンデムシート BLM-4150シリーズを開発しました。当時のアメリカ製スタジアムシートは、剛健で男性が好む強いフォルムが主流でしたが、「これからは女性にも観戦してもらいたい」という東京ドームの願いを汲んで、女性にも親しみやすい柔らかい丸みのあるデザインを採用しています。
1990年代
1992年(平成4年)
セビリア万国博覧会へ回転劇場用イスを納入
スペインセビリア万博における日本館円形劇場に、喜多俊之氏デザインのRTM(Resin Transfer Molding)同時通訳付イスを納入。このイスは、ニューヨーク近代美術館パーマネントコレクションにも選定されました。
1993年(平成4年)
イギリスのオーディエンス・システムズ株式会社がグループに加入
2000年代
2000年(平成12年)
タウンアート事業部を株式会社タウンアートとして独立させる
2001年(平成13年)
アフターサービスを専門とする株式会社コトブキシーティングサービス(現 KSS株式会社)を設立
2004年(平成16年)
本社を千代田区有楽町から神田駿河台に移転
ベトナムにコトブキ・シー株式会社設立、東南アジア中心に事業拡大へ
2005年(平成17年)
台湾コトブキ株式会社(現 コトブキ台湾株式会社)を設立
2006年(平成18年)
コトブキ60シリーズ発売
1960年代の名作イスを甦らせる60VISIONに12社と参加。60VISIONは、異業種合同プロジェクトとして、2008年のグッドデザイン賞中小企業庁長官賞を受賞しました。人気を博したコトブキ60シリーズは、2010年に惜しまれながら販売終了となりました。
韓国コトブキ株式会社(現 コトブキ韓国株式会社)を設立
2010年代
2010年(平成22年)
ホールディングカンパニー制へ、コトブキシーティング株式会社設立
2011年(平成23年)
可変劇場イスを開発、由利本荘市文化交流館「カダーレ」へ納入
安定した可動床・イスで構成され収納が可能な、劇場・ホールのための可変劇場イス(プレミアムRCS)を開発しました。可動構造で駆動機構がありながらも、音響性能や座り心地の面で、固定席に近い性能を発揮。ひとつの空間に、本格的な劇場・ホール利用と、平土間の利用の、ふたつの顔を持たせます。
2013年(平成25年)
シンガポールにコトブキシーティング・インターナショナル株式会社(後に、コトブキシーティング・アジアパシフィック株式会社に社名変更)を設立
2014年(平成26年)
創業100周年本社ビルに新ショールームがオープン。
キネット・ギャレイ・ルネッサンス株式会社がグループに加入。
2016年(平成28年)
マレーシアのフェルコ・シーティング・システムズ株式会社がグループに加入
2018年(平成30年)
アメリカ合衆国にコトブキシーティング・インターナショナル株式会社を設立