市民の誇れる世界一の文化施設を目指して

2014.08.28
インタビュー

「住む人来る人を引きつける魅力と環境を整え、まちなかの往来を増やすまちづくり」の拠点として、2011年12月に開館した、由利本荘市文化交流館「カダーレ」。施設は、文化会館、公民館、図書館、教育研究所等の機能を有し、大人からこどもまで気軽に立ち寄れる構成となっています。設計を担当された株式会社新居千秋都市建築設計の新居千秋氏に、お話を伺いました。

株式会社新居千秋都市建築設計
東京都市大学教授/ペンシルバニア大学客員教授 新居千秋氏

新居千秋都市建築設計 新居千秋氏

由利本荘市の成り立ちと背景

由利本荘市は鳥海山及び鳥海高原を望む場所にあり、2005年に1市7町が合併してできました。日本では珍しく街の中心部が半径400mのコンパクトな、そして秋田県立大学や企業の本社もある人口約85,000人の市です。
由利本荘市はもともと、プラネタリウム、天体観測所、理科等の科学分野に関して力を入れて来た歴史が有り、文化会館、青少年ホーム(本荘公民館)、図書館、教育研究所等々、それぞれ30年以上の歴史があります。それらの歴史を勘案しつつ、設計段階から、市民の方の意見を取り入れていくうちに、現在の宇宙船のようなかたちになりました。それを、次の世代を担う若い人を育てる「科学の船」として捉え、同時に「世界初の多機能型可変ホール」「世界一の文化施設」を目指しました。

市民参加と地域の変化

本計画は、羽後本荘駅前病院跡地再開発のプロポーザル・コンペとして行われました。私達は由利本荘市はコンパクトなまちなので「一○○年の計」を考えるまちづくりをビジュアルに提案し、そういった観点から、道路を挟んだ二つの敷地を一体化することで、複合化のメリットを最大限に生かした施設をつくりましょう、となかば捨て身で提案して選ばれました。中心の中心が育つ事で初めて活気が周辺に波及するという説明等をして、議論をしてこの案を進めました。
当たり前のことですが、それぞれのまちにはそれぞれ異なった市民、役所の方々がいます。広域合併によって形成された由利本荘市には旧市町村毎の考え方、既存施設、学校、役所等、様々な人達が個々に頑張ってきた背景がありました。本計画を行う際、様々な方々の意見を調整した上で方針を定める必要があり、結果、まちづくりまで含めた提案を行いました。市民との活動はまず、自己紹介、コンペ案の説明、コンペ以前に建設委員会や住民組織が個々に活動を進めてきた経緯やまちの取り組み等の理解に努めました。まちづくり推進協議会を通し、類似施設の見学会、検討会を行い、施設計画のイメージをみんなで育てました。また、コンペ時、本施設のプログラムは「用途は未確定な多目的ホールをもつコミュニティ施設及び図書館」でした。プログラムを定めるにあたり、市民アンケートやヒアリング、説明会を重ねた結果、コンパクトシティ化の強化という課題を見出し、まちづくりに対しての施設の役割を整理し、「まちの機能の集約」というプログラム設定のための視点を示しました。

由利本荘市文化交流館「カダーレ」外観

このような計画の影響などもあり、街から出て行こうとした大規模小売店が新しく建て直して街に留まることになったのだと思います。通常、郊外に出ようとした大規模店舗や企業などが留まることは稀であり、中長期的な今回の私たちの計画が企業目線からも信頼されたといえるのではないでしょうか。周辺の変化としては他に、お城のそばにある市の関係施設が移転すると美しい大公園エリアになると思っていましたが、現在、実際に第二庁舎や消防署が移動し始めています。また今まで閉じていた周辺の店舗がこの開館に合わせて改修、再開したり、全国チェーンの飲食店などは6店舗できました。コンビニやビデオレンタル店も開店して、街が賑やかになってきました。これはある種の建築の構築する力が発揮されていると感じます。

市民との対話から生まれたかたち―図書館とプラネタリウム―

初期全体模型 1/50

初期全体模型 1/50

図書館は当初、既存図書館の12万冊程度の蔵書計画でしたが、平成15年にまとめられた「あきたLプラン15」という「秋田県公立図書館振興のための提言と設置および運営に関するガイドライン」に示された蔵書数を目指すため、収容冊数22万冊程度ということに決まりました。既存施設の調査を行った際、母親ボランティアの方々が子どもたちへの人形劇を行っている事を知り、100人以上が利用できるお話し室を計画し直し、ボランティア室との連携が行える配置に変更しました。
また、図書館事務室と管理事務室の配置も、コミュニティの方々との検討会の中で使い勝手やゆとりのあるカウンターまわりにしたいという要望から、現在の配置へ変更するなど、ついには200枚程書いていた実施図を捨て、南北を全く逆転して直すことになりました。「紙に書いた建築は変えられるが、建てられた建築は変えられない。変えることは物ともせず。」というのが私たちのモットーですが、ここまで大きな変更は初めてです。大変でしたが変更したことで、より一層使い勝手が向上しました。さらに産学官の共同する場が欲しいという要望もあり、プラネタリウムの設計者と新しいあり方を検討し、プラネタリウムの部屋の防音機能を活かし、会議やエアロビクスに使える多機能なものにしました。そして、公民館施設は既存施設の丁寧な調査に基づき諸室を計画すると共に、地域のサークル活動などの現状を踏まえ、防音室などを追加するプログラムになりました。不登校児童のためのふれあい教室など、既存公民館での活動を新しい施設でも行えるようにも配慮しています。さらに特徴として、高齢者や駅で電車を待つ高校生のためのコンビニ的要素と物産館的要素を併せ持つ場所、女性や若い人や高齢者が集えるレストラン、カフェなどの飲食ゾーンを設けました。地方では通常、女性が気軽にお茶を飲みに行けるような場所が少ないため、一石を投じることになると思います。

「世界初」のホールづくり

まちづくり推進協議会との検討によって、本施設は既存施設(本荘文化会館、本荘公民館、本荘図書館等)の発展的な移転として正式に位置付けられることになりました。当初のホール計画は、中規模の平土間で600人~800人程度の、スポーツと一部兼用のものでした。その頃本荘文化会館の天井が落ち、構造的にも改修の必要性があり、舞台機構メンテナンスができなくなっていることも分かり、類似施設調査を行いました。そして “1,300席の固定席” をスタートに皆で話し合って、約200席減らした1,110席(固定席574席、可動席536席)の音楽、演劇などの両方できる多機能ホールとしました。音楽、演劇などの両方できる多機能ホールとして誕生した由利本荘市文化交流館「カダーレ」1,300席という規模は、周辺地域を調べても秋田県内ではどの施設でも年に2~3回の利用だということが分かったので、劇場使用時と平土間使用時の両方に対応できる設備を備えたものが最善だと判断したのです。当初は固定席派、可動席派の意見がなかなかまとまりませんでしたが、世界に誇れる可動式ホールを作ろうと方向性を定めました。可動部のイスについては早期に客席の開発を行うこととなり、日本初、おそらく世界初の固定席と同等の座り心地や音響の性能に加えて、固定席と全く同質のデザインをもつ座席ができたと思います。この実現で、1,110席の一体感のある、可動席を設けながらも本格的な音楽ホールとしても満足のいく多機能可変ホールになりました。
また、このホールの大きな特徴である「super box」はホールの可動席を床下に収納する事で、ホール、市民活動室、ギャラリー、ポケットパークを繋げて得られる4.5×12.5×135mのトンネル状のフラットな大空間です。南北の道路を繋ぎ、様々なイベントに対応できる、他の地域にも誇れるものとなったと思います。

3次元CADを駆使して身体的空間創造へ

図書館

要望に柔軟に応え身体的な空間を実現するために、3次元CADデータによる設計手法はとても重要でした。ここの複雑な形状はコンペ案の長方形の1/50模型からみんなで考え実現したものです。様々な人々の意見をそのまま一階、二階、バラバラに出してもらったり、当初まっすぐだったワイワイストリートでは、曲げると先、そしてその先のものが見えるということなどが考えられ、形を変えていきました。
活動に適した部屋の寸法や面積、柱を落としたくない場所など、上下階の要求は時にハコの建築に無理につじつまを合わせて納めなくてはなりません。ですがこの建築では可能な限り構造と一致した傾斜壁が作りだす身体性を重視した空間を生み出しました。世界最先端レベルの三次元CAD技術と模型によって、私たちは意匠的な空間スタディだけでなく、構造計算、鉄骨の建て方などの仮設計画や、工事監理のコミュニケーションにもこのデータを用いています。音響、イスの居住域の空調、ホール全体の空調などのシミュレーションもそうです。このようにCADと模型を駆使して、今まで誰も見たことのない、経験したことのないような空間を創り出し、しかも先端技術を用いた採光計画や空調設備で、ランニングコストに配慮した快適な環境になっています。

<画像左>有限要素法解析構造モデル
<画像右>上から、鉄骨+トラスウォール、鉄骨+トラスウォール+スラブ、鉄骨+トラスウォール+構造、意匠(躯体仕上げ)

カルチュラルサスティナビリティ(文化的持続可能性)

長期的な視点から、中高生や大学生など、次の世代と関わり合いながら建築を創っていくことはとても大切だと考えます。ワークショップでは、地域の高校生に連続的に参加してもらい、町の状況や歴史的な資源の調査を行い、施設運営やまちづくりの計画を一緒に考えました。その中で、秋田県立大学の建築学科の講義に現場見学会やプレゼンテーションの機会を定期的に設けました。これはある種のインターンシップであり、地域の大学と街が共生する道を開いたと思います。施設内には大学のサテライト機能を持った諸室、自然科学教室、プラネタリウムなどがあり、開館後も続く地域の教育との連携を計画しました。

現在、インターネット等により世界同時性が強化されグローバルにものごとを考える必要があります。しかし、私たちの日常生活は、その人が生活している地域(人種、宗教、言語、教育、四季、食べ物)に強く根ざすものです。「カダーレ」も独自性や地域独特のものを大切にしました。また、若い世代がワークショップなどへ参加することによって、愛着がわき、様々な運営・活動等への参画にも繋がります。こうした一連の文化運動として建築を作ることによって、地域の人が自分達のものだという、地域愛の象徴のようなものが生まれ、支え合い、繋がりあって育っていく文化の場となり、このようなカルチュラルサスティナビリティ(文化的持続可能性)が保てるようになると考えています。この「カダーレ」は世界に誇れる名所となり、アマチュアからプロフェッショナルの方まで、幅広く利用できるものにできたと思います。市民の方々に利用していただくことももちろんですが、積極的に地元出身や関わりのあるアーティストなどと共に、さらに文化運動の輪が広がるといいと思います。カダーレは、2011年12月19日の開館から4カ月で200,000人の来館者を記録し、とても賑わいのある施設となっています。上記の様な、皆様の活動の効果が出てきたのかもしれない、と感じております。

取材:2011年12月
このインタビューは、納入事例集「View No.04 (2012 JUL.)」に掲載されました。

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