歌舞伎や能から生まれた、現代でも使われる言葉「幕間」「芝居」その由来と歴史は?

2017.01.04
コラム

「幕間」は「まくま」?それとも「まくあい」? この言葉が生まれたと言われる日本の伝統芸能、歌舞伎や能に由来する現代でも使われる言葉は他にもあります。従来とは読み方が異なったり、生まれた当時とは違う意味で使われるようになったり。言葉と密接に関わる文化や世相、それに通じる劇場のイスのコラムです。

「昨日、例のお芝居を観て来たよ。あのストーリーには伏線があって、実は幕間に気づいたんだけどね……」

先日、他愛もない雑談に出てきた、「幕間」という言葉に引っ掛かりました。

演劇やミュージカル、歌舞伎などの舞台芸術を観に行くと、上演途中に15分から20分ほどの休憩が入ることがあります。話し手は、この休憩時間を指して「幕間」と言っているのですが、あなたはこの文章を読みながら、果たして「幕間」の二文字を何と読んだでしょうか。

「昨日、例のお芝居を観てきたよ。あのストーリーには伏線があって、実は幕間(まくま)に気づいたんだけどね……」「まくま? まくあい、のこと?」

会話中で、話し手と聞き手で「幕間」の読み方が異なったため、アンケートを取ってみることにしました。

舞台芸術鑑賞の休憩時間「幕間」を何と読みますか?

  1. 幕間(まくま) ― 51%
  2. 幕間(まくあい) ― 44%
  3. その他 ― 5%

「まくま」と「まくあい」、正しいのはどっち?

アンケートの結果は「まくま」派が51%、「まくあい」派が44%。実は、本来の読み方は「まくあい」です。芝居で一つの場面が終わって幕が引かれ、次の幕が開くまでの間のことを指す言葉です。

「幕間」が「まくあい」ではなく「まくま」と読まれるようになった理由には諸説ありますが、「間」という漢字は常用で「あい」と読むことはできないため、その表記から「まくま」と読む人が増えたと言われています。

従来の読み方と、昨今の読まれ方が異なる漢字を代表する言葉として「重複」が上げられます。従来は「ちょうふく」と読んだこの言葉は、誤読の「じゅうふく」が広がったことで、今はパソコンの変換でも「じゅうふく」で「重複」が表示されるようになりました。

核心を突くという意味である「的を射る」が「的を得る」と使われるように、暇で時間を持てますことを「間が持てない」ではなく「間が持たない」と言ってしまうように、言葉は時代と共に変化する生き物でもあります。

今回の「幕間」アンケートでは、「どちらの読み方も使う」という声も多く寄せられました。舞台関係者の中でも「まくま」と読んだり「まくあい」と読んだり、時と場合によって使い分けていたり、そもそも「幕間」という言葉に縁がない方も。

歌舞伎のシンボルカラー、3色の縦縞「定式幕」

歌舞伎のシンボルカラー、3色の縦縞「定式幕」

「幕間」の言葉が生まれたと言われる日本の伝統芸能の劇場では、この3色の縦縞の幕をよく見かけるのではないでしょうか。時代や座組ごとに色や並び順が異なりますが、「黒」「柿」「萌葱(もえぎ)」の3色に馴染みのある方が多いことでしょう。歌舞伎のシンボルカラーでもあります。お茶漬けやお菓子のパッケージでも使われていますね。

「定式幕」(じょうしきまく)と呼ばれる3色縦縞構成のこの幕は、市区町村のホールや体育館のステージで一般的な上下に開け閉めされる「緞帳」(どんちょう)とは異なり、左右に開閉する「引き幕」です。

歌舞伎や能に由来する、現代でも使われる言葉

国立能楽堂

伝統芸能に由来する言葉は、現代でも多く使われています。

芝居の一場面が終わると引かれる定式幕に倣って、物事を締めくくることを「幕引き」「幕切れ」と言います。「現役時代の幕を引いた」「あっけない幕切れとなった試合」 など。逆に新しくスタートする時には「第二の人生の幕開けだ」のように「幕」という単語が使われます。例文もついついドラマティックになりますね。

舞台上で上演される演劇のことを「芝居」と呼びますが、これも昔は芝の上で座って鑑賞していたことに由来します。語源は、「芝の上に居て観る」ことから。現在は上演するものを指す言葉ですが、従来は作品を観る見物席のことを「芝居」と呼んでいました。

現代の劇場では、イスに着席することが当たり前です。しかし百年ほど遡れば、イスではなく、現代の桟敷席のように平土間に座ることが一般的だったのです。

「芝居」だった劇場がイスの客席に変わった!

ここで、「芝居」から現代の劇場イスへの歴史を少し振り返ってみましょう。

「芝の上に居て観る」文化の日本で、全ての席が1席1席が独立した現在の客席が生まれたのは、大正12年(1923年)の旧帝国ホテル演芸場が初めてだと言われています。

大正12年9月1日、関東大震災が発生。横浜の中心部は壊滅的に被災し、家具商として創業9年目だった当時のコトブキシーティング(合資会社壽商店)も、大きな損害を受けました。その時落成したばかりで倒壊を免れたのが、旧帝国ホテルです。関東大震災に倒れなかったホテルとして、建築家フランク・ロイド・ライトの名と共に、一躍世界的に有名になりました。

壊滅した首都において、震災復興の明るい希望となった、旧帝国ホテル。そしてホテルの中に設計された近代的な演芸場。イス800席の製作に参加したコトブキシーティングにとっても、今後の行方を決定付ける、大きな仕事となったのです。

震災は東京を一変させ、建築物は内部様式から変わっていきました。洋式家具の需要は空前の高まりを見せ、このブームの中、「耐久力のある家具は木と金属を組み合わせた物に」との思いから、連結式の劇場イスの開発が始まります。

コトブキシーティングは、1924年の帝国劇場約1,700席の製作参加を経て、1925年には東京帝国大学(現・東京大学)の安田講堂のイス製作に着手しました。安田講堂では、度々の改修を重ねながらも、イスは納入当時のデザインを踏襲しています。

東京帝国大学の安田講堂

言葉の背景にある歴史ってオモシロイ!

従来とは読み方が異なったり、生まれた当時とは違う意味で使われるようになったり、言葉は文化や世相と密接な関わりを持っています。言葉が生まれた歴史や背景について学べば、いつも何気なく使っている単語の中に、深みや面白さを発見できるチャンスに。普段の生活の中に、ぜひ見つけてくださいね。

記事中のアンケートは、2016年12月にコトブキシーティング公式Twitterで行いました。

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